差別される側になって思うこと
いきなり当初の予定していたブログの内容ではないですが思うところ多々あったので書かせて頂きます。
2020年早々に暗いニュースですね。
「新型コロナウイルス」「COVID-19」
中国武漢で騒ぎになったのが1月の終わり。
その当時ニュースを見ていても
「中国が大変」みたいな他人事のようなニュースばかりでしたが、日本も空港からの感染者、空港から電車内での感染者を考えたらあっという間に広まるだろうなと感覚的に思っていました。
これは当然の感覚だと思うし、空港をよく使う方なら分かると思います。
その後、各国が中国からの渡航をすぐに禁止している中で隣国の日本は全く対応していない上、結局国負担になった武漢在住日本人の帰国後の検査を強制していないこと、ダイアモンドプリンセスの対応・厚労省の職員の職場復帰等、日本の政府の対応の恐ろしさを見て、2月の終わりに「緊急事態宣言」を出されても個人的な感想は「え?何を今更?」でした。
マスコミも連日のようにせっせと「○○県で何人感染」と日本地図を出して説明していましたが、特に関東近郊においては東京に通勤している人がどのくらい多いかを考えれば当然のように意味がない情報じゃないでしょうか。
対応するワクチンがないなら予防するしかない。自分達に出来ることは免疫力の向上、日常的な手洗い等だけ。と私は落ち着いていたつもりです。
しかし、悲しいことに同世代の決して無知とは言えない友人達もマスコミに踊らされてました。
「緊急事態だって、、○○駅は中国人多そうじゃない?会うのやめとこうか。」
「○○駅は中国人多そうだからやめとこう」
このメッセージが来たとき、何と返信していいか分かりませんでした。
書ききれないぐらい複雑な気持ちになりました。
まずは
「政府が緊急事態宣言したから」
「学校も休校になったし」
とマスコミが煽りだしたら急に怯え出すことへの操られ加減にも辟易としてしまいました。
その友人は多くの外国人が観光や買い物に来る大きなハブ駅に毎日満員電車で通勤していたのです。なにを今更怖がるんだ。
更に「中国人」と一括りにし、差別的な発言に嫌悪感を否めない。更に世界的に見たらもう「アジア発祥」のウイルスとして悲しい人種差別が始まっていることを知らないのか。と。
そんな中、日本からアメリカに帰ってきて約1週間が経過しました。自主的に自宅待機をし、こっちの友人にも2週間経過後までは会わないと伝えています。
しかし、日本の友人が中国の人を見るように自分も「アジア人」として見られてると思うせいもあり、外出のとき非常に肩身が狭く感じます。
私はニュースやTwitter動画にあるようなクレイジーな輩には絡まれてません。しかし、「嫌がられているなぁ」と感じる差別はあります。
一例をあげると、マンションのエレベーターを待っている列に私が並ぶと、わざわざ違う列に並ぶ人もいました。これはつまり、私と同じエレベーターに乗りたくないんだろうなということです。
長々と書いてしまいましたが、
差別される側になって思うことは
それによって生まれるのって負の感情しかないんだな、ということです。
怒り、憤り、悲しみ、憎しみ、虚しさ。
今回の新型コロナの前から様々な差別問題はありました。
日本においては「外人」を筆頭に、ネガティブな意味での「中国人ぽいよねー!」とか。
世界で見ればLGBTQや有色人種、他宗教への差別。
私もアメリカで感じる視線、負の感情を通じて
世界から戦争がなくならない理由が分かった気がします。
もし、まだ日本で中国人や朝鮮人への差別的な発言をしている人、海外から日本に来ている人に嫌悪感を抱いている人がいたら、自分も「差別される側の人間」だということに早く気付いて欲しいです。
差別された側は、差別してきた人のことを
「無知で愚かな人」と差別します。
だって同じ人間なんですから。
自分も何かで差別されたらそう思うでしょう。
差別は新たな差別を生むだけです。
恥ずかしながら、海外で自分が「嫌がられているな」とはっきり感じるのは今回が初めての経験でした。
なので、今回その経験を通じて感じたことを忘れないうちに書かせてもらいました。
早くこの新型ウイルスが収束に向かうことを祈りつつ、自身の感染と発症を防ぐよう免疫力の向上に努めましょう。
それが自分達に出来る唯一のことではないでしょうか。